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『鉄路の果てに』清水潔×瀬尾傑「FUTURES〜本のソムリエ〜」より

『鉄路の果てに』の著者である清水潔さんが、去る8月29日、JFN系「FUTURES〜本のソムリエ〜」に出演されました。番組パーソナリティのスマートニュース研究所所長・瀬尾傑さんとのお話の模様を<ダイジェスト版>にてお届けします。

瀬尾 第5土曜日の朝に瀬尾傑がお届けする「本のソムリエ」。今回のゲストは、日本の調査報道の第一人者、清水潔さんです。清水さんよろしくお願いします。

清水 よろしくお願いします。

瀬尾 簡単に清水さんをご紹介します。清水さんは、僕らノンフィクションやジャーナリズムの世界に関わってる者にとってはレジェンドといいますか、調査報道の第一人者として知られている方です。現在の肩書きは日本テレビ報道局の記者、特別解説委員ということですが、もともと出版社のカメラマンをされていて、とくに新潮社「フォーカス」時代に桶川ストーカー殺人事件にて、警察の隠蔽をひっくり返して真犯人逮捕まで結びつけたという活躍をされました。さらに日本テレビに移られてからは足利事件で、無罪なのに逮捕されて無期懲役だった菅家利和さんの冤罪を証明した。警察発表に頼らず、むしろそれを覆すような取材をコツコツされて、新しい事実を発掘する、まさに調査報道をされてきて、その実力は誰もが認めるところです。今年5月に新刊を出されました。それがノンフィクションの『鉄路の果てに』という本です。これまでの本とスタイルが違うので、今日はそのお話を伺いたいと思いました。改めて清水さんよろしくお願いします。

『鉄路の果てに』は個人的な話をベースにスタートにして、歴史に入っていく話。今回なぜこの本を書こうと思ったんですか。

清水 事件や事故などの取材をずっとやってきたわけですが、最近戦争に関わる取材が増えてきて、テレビ局の仕事としてもやってきたわけです。その中で戦争について知らないことが多いなということを感じました。

今回『鉄路の果てに』を書く直接的なきっかけは、自分の父親が日中戦争に行き、その後ソ連に抑留されて捕虜として働いていたということがあります。その話をもっと詳しく父から聞きたかったんですですが、父は2013年9月に亡くなりまして。私自身いろんな取材をしてきて人の生き死に関わる仕事をしてきましたが、これが肉親になるとですね、なかなか正直聞きずらかった。

瀬尾 お父さんからお話を聞く機会は少しはあったんですね。

清水 それはありました。子供の頃から戦争の話は少し聞いてましたし、あるいは亡くなる少し前に、中国のどこに行って何をしていたというようなことは、入院先の病床で聞きました。中国のハルビンにいたとか、その後当時のソ連に連れていかれて苦労したとか、そういった話を断片的に聞いていました。

瀬尾 普段は自分から戦争のことを語るということはなかったということですね。

清水 そうです。父は鉄道聯隊という部隊にいたので、僕はそれを後方支援だと思っていたわけです。線路を敷いたり、機関車を走らせたり、そういう話はしてくれたんですよ。ただ、父が中国でどんな風に動いたかとか、捕虜になってどんな思いをしたかはわからないまま終わっていたのですが、一昨年の秋に実家を解体することになり、父の遺品を片付けていた時に、一冊の本を本棚で見つけまして。『シベリアの悪夢』という本です。

瀬尾 どんな本ですか?

清水 シベリアに抑留された人たちが原稿を持ち寄って作った本で、父はその本をもらったようです。表紙をめくったら、びっくりしました。メモが貼ってあって、父親の字で「だまされた」とあった。いつハルビンに行ったとか、移動経路も書いてあって、地図には赤い線と矢印が引かれていた。これがあれば行けるな、と思ったわけです。親父が歩いた道筋がわかったので、これをなかったことにしたくないよねという気持ちがふつふつと湧いてきた。

瀬尾 それは家族という気持ちですか? それとも、ジャーナリストとしての気持ちなんですか?

清水 これ、イメージでいうと半々なんですけど、つまりジャーナリストとして家族のことすら把握してないのはよろしくないと思った。他人さまの人生に関わったり、顔を突っ込む仕事をしていながら、自分の父親がどんな人生を送ったのかを知らないまま終わるのは良くないと思った。この旅に出ようと思った時には本をまとめようという具体的な構想はありませんでした。まずその道筋に行って、それから考えようという、そういう感じです。

瀬尾 鉄道が今回の本の大きなテーマになってます。鉄道を使って動く歴史的ロードムービーでもあるなと僕は読みながら思いました。鉄道で行こうというのは、取材に出る時にあったんでしょうか。

清水 当時の交通機関は船と鉄道なんですよね。父もそのほとんどの区間を鉄道で移動してますから、なるべく鉄道で辿ってみたいというのは、最初に自分の中の条件付けにしました。

瀬尾 そもそも清水さんは鉄道が好きなんですか。

清水 親父が鉄道聯隊にいたこともあって子供の頃から鉄道に興味がありました。日本中のいろんな鉄道を親父に連れられて周って写真を撮ってました。その頃は蒸気機関車が走っていた時代なので、ターゲットはもっぱら蒸気機関車です。1975年くらいまで写真を撮り続けたわけです。

瀬尾 最後のSLブームの時ですね。

清水 そうです。高校生くらいのときにSLがなくなり、撮るものがなくなって奈落に落ちたという過去があります。

瀬尾 お父さんを受け継いでいるんですね。ちなみに具体的に鉄道聯隊というのは軍隊の中でどういうことをする仕事なんですか?

清水 陸軍の一つの部隊で明治時代からあるようです。当時は道路網がないし、道路を作るより、枕木を引いて「鉄の道」、鉄道を敷く方が簡単だった。

瀬尾 大量に輸送できますね。

清水 鉄道聯隊の目的は、既存の鉄道を利用し、大砲を積んだ装甲列車を走らせるとか、あるいは鉄道がないところに新たに鉄道を引くわけですけど、もう一つの任務としては、敵の鉄道を破壊したり、あるいは自分たちが撤退する時に鉄橋を爆破するなど、敵に使わせないような工作も含めてやる。逆に、敵が破壊した鉄橋をひたすら直すことも任務だったそうです。

中露国境越え

瀬尾 清水さんの鉄道旅は中国のハルビンから始まります。ロシアに入る時にスパイの疑いをかけられたのではないかということですが。

清水 中ロ国境です。ザバイカリスクという小さな駅でした。理由はわからないのですが、その駅に着いてから様子がおかしくなりましてね。たくさん乗客がいるわけですが、降りろと言われまして。全員降ろされたかと思えば、私と、私に同行してくれた小説家の青木俊という男とあと数人です。呼ばれて色々聞かれるわけです。小部屋に呼ばれて高圧的に、仕事は何をやってるとか、聞かれるわけです。指紋も取られたし、写真も撮られました。

瀬尾 そこで仮に拘束されても日本に伝わらないですよね。

清水 ガイドがいるわけではないので、自力でなんとかしないといけない。

瀬尾 何事もなくてよかったですね。

清水 その駅で列車は5、6時間くらい停まるのです。その駅から線路の幅が変わるんですよ。そこで車体を持ち上げて、車輪ですよね、下の台車の部分を替える。その間、乗客は列車から降りて待合室で待ってるわけです。なんでこんな効率の悪いことをやってるんだと思って後から調べると、実はかつては中国もロシアも同じ線路幅でうまく繋がっていたけです。それを日露戦争に勝った日本が、自分たちが敷いた朝鮮半島の線路の幅と中国の線路の幅を一緒にしたいがために、1435ミリという幅に直した。ソ連国境までの幅をわざわざ変えたのです。国境で何時間も待たされる背景には、日本が関係していたことがわかってくる。

瀬尾 日本としては、線路幅を変えて、シベリア鉄道から日本に来ないように、ロジスティックを止めようとしたんでしょうね。

清水 それもあるかもしれませんね。ヨーロッパでは線路幅がだいたい一緒で乗り入れられるようになってますが、ことこれが戦争になると乗り入れられたくないというのがあって、わざと隣国と線路の幅を変えた国もあります。

瀬尾 台車を替えなくても、列車を乗り換えればいいのにって気もしますけど、シベリア鉄道の意地か何かがあるんでしょうかね。

清水 列車を車庫に持っていって、ジャッキアップして台車を替える。大変な作業です。取り替える前と後の写真を撮っておきましたけど、見る限りは何も変わってなかった。

シベリア鉄道の難所

瀬尾 そこからシベリアに向かわれますが、お父さんが抑留されていたのがシベリアの施設だとか。

清水 バイカル湖という世界で一番深くて透明度の高い湖があるわけです。広さでいうと九州くらいある巨大な湖なんですけど、その近くにあるイルクーツクという町に父は抑留されていました。

瀬尾 実際にイルクーツクの駅に降りられた時、どんな気持ちでしたか?

清水 駅に着く少し前にバイカル湖のほとりを列車は3時間くらいかな、ずっと走るんですが、冬なので真っ白で向こう側が見えない。海のような感じです。親父が、「バイカル湖の近くの駅で降ろされて、雪だけがしんしん降っていて本当に寒くて、これからどうなるんだろうって思った」と話していたのを思い出しました。突然連れてこられて「ここはどこだ? 本当に生きて帰れるのか」と思うのはどれだけ不安だったかと、その気持ちが現場に行ったことでわかったように思います。

イルクーツクという街はシベリアのパリと呼ばれることもあるくらいで、石造りで石畳があってヨーロッパ調です。シベリアの中心的な街ですが、あの時期は寒いですね。

瀬尾 バイカル湖は、シベリア鉄道にとっても難所で、ここをどう越えるかがある意味で、ヨーロッパとアジアを繋ぐ最大の難所だったわけですよね。

清水 シベリア鉄道はご存じの通り、モスクワから日本海側のウラジオストクまで、ユーラシア大陸の東西を結ぶ。最後まで開通しなかったのがこのバイカル湖の周辺です。長さが680キロくらいありまして、迂回するにしても相当大変です。湖沿いに迂回したいけど、廻りが崖なので、これもまた難しい。それで鉄道の連絡船を作って、乗客や貨車を載せて繋いでいた時代があります。

ところが冬になると湖が凍って連絡船も使えなくなる。それで氷上をソリで運ぶ。そのためにシベリア鉄道のネックになっていた。ロシアはなんとか線路を繋ぎたいと思い、繋がらない方がいいと思っていた国が日本だったわけです。

バイカル湖の線路をなぜ日本が気にするかといえば、日露戦争に大きく関わってくるからですね。日露戦争というのは、中国の遼東半島などで日本軍とロシア軍が戦争をし、結果日本が勝ったとされていますが、その戦場である遼東半島はロシアからすれば遠い。そこに兵隊や物資を運ぶのがシベリア鉄道です。これさえあれば、モスクワから食料でもなんでも運べるわけです。バイカル湖がボトルネックになっている間にロシアに攻め込みたいというのが日本軍の考え方でした。

シベリア鉄道が全通する前に日露戦争を始めたのは作戦として成功したわけです。ややセコイですが。

なぜ隠蔽が生じるのか

瀬尾 今度の本であらためて考えたのは、最後のソ連参戦についての考察を読んだときです。満州にいたたくさんの人たちが犠牲になりました。それこそシベリアに抑留された方もいれば、日本に帰った方も命からがらでした。おそらく、シベリア鉄道の動きを見ていたら、ソ連兵がドイツからどんどん満州に運ばれてくるのがわかるわけで、次にソ連が何をするかは、日本軍はわかっていたわけですね。そのことを民間人に知らせなかった。国家の残酷さであり、無責任な話だと思いますけど、そういうことは現代社会でも起こりうるわけです。

清水さんが桶川ストーカー殺人事件で取材されたことも、警察がそもそも情報を隠したり、被害者に対する情報捏造のようなことまでやっていたことを見ると、国家や大きな組織は自分たちの都合で隠蔽し、国民を切り捨てる局面がある。それに対して知ろうと努力をすることは極めて大事だと改めて感じました。

清水 そうですね。例えば事件が起きる、事故が起きる。その時一番情報が集まるのは警察ですから、そこに取材に行くのは基本だと思います。多くの場合は、警察の発表に嘘が混じることはあまりないとは思うし、そうあって欲しい。ただ、発表というものは自分たちにとって都合の良い話が混じってくる。例えば解決した事件は一生懸命広報するわけです。「警察24時」とか宣伝になりそうなものも積極的に取材を受ける。

一方で10年前の未解決事件についてはわざわざ言わない。発表報道にはそういう都合の良さがあります。

例えば桶川ストーカー事件の場合、被害者が助けてくださいという声を出していたし、告訴状も警察は受理しているわけです。その段階できちんと捜査していれば、女性は殺されずに済んだかもしれない。その可能性や事実は警察にとって都合の悪い話です。

つまり警察発表は第三者的立場ではなく、利害当事者による発表になってしまっている。当事者性が生じた時には嘘が混じるということを、僕は桶川ストーカー事件の時に学びました。

瀬尾 組織の利害が当事者として入ってきてコントロールするわけですね。

清水 そうです。もう一つは先ほど出ましたけど、足利事件ですね。菅家さんという方が無期懲役を受けて千葉刑務所に入っていた。幼女を殺害したという容疑です。本人の自供とDNA型鑑定が証拠となり、最高裁で有罪判決が確定してました。しかしその後本人はやってないと言っている。

そこで調べてみると自供自体はかなり矛盾があった。けれど一般的に言えば、DNA型鑑定が一致すれば、犯人だと思ってしまうし、マスコミもそういう扱いをしてきたわけです。そこでDNA鑑定についても調べてみると初期の技術で、どうやら危ういものであることがわかってきた。そこでもう一度、現在の新しいコンピューターによるDNA型を再鑑定すべしと報じたのです。すると一致しなかった。

僕は偏屈なところがあるので、おかしいんじゃないかとやり続けることで再鑑定になったわけですけど、やらなければ菅家さんは今も刑務所の中だった可能性が高いのです。

瀬尾 菅家さんの冤罪を晴らしたことも大事なことですし、DNA鑑定のあり方や日本の捜査の仕方、裁判の仕組みそのものに疑問を投げかけることになったので、清水さんの調査報道には本当に大きな意味があったと思います。

最後にお伺いしたいのは次作の構想について。何かあれば教えてください。

清水 あの戦争を振り返る中で、どうして戦争は始まったかという部分に僕はこの数年こだわっていまして。それをそろそろまとめていきたいです。

瀬尾 原点に遡っていくということですね。

清水 いかにわかりやすく、多くの人に理解してもらえるかが大事で、それが我々の仕事だと思っています。

瀬尾 今回の『鉄路の果てに』においても鉄道というロジスティックの部分での戦いを知ることができて、改めて歴史に学ぶことは極めて重要だと感じました。これからの清水さんの活躍を楽しみにしています。

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