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清水潔『鉄路の果てに』書店員の皆様のコメントを紹介します(Part2)

「だまされた」亡き父が遺したメモを手掛かりに、気鋭のジャーナリスト清水潔が戦争を辿る『鉄路の果てに』。読んでくださった書店員の皆様のコメントPart2(Part1はこちら)を紹介します。
内容紹介についてはこちらを、写真で巡る韓国・中国・ロシアの旅はこちらを、冒頭8000字の試し読みはこちらを、「本には無いまえがき」はこちらを、動画での著者インタビューはこちらをご参照ください。

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文教堂商品本部・青柳将人さん
文教堂ブックレビューより転載させていただきます)
著者が幼少時代からの半生を過ごした実家の父の本棚から一枚の小さな紙きれを見つけたことを発端にこの物語は始まる。
「だまされた」
『シベリアの悪夢』と書かれた本に挟まれたそのメモ書きには、「私の軍隊生活」と書かれた簡単な記録と、戦時から戦後にかけて父が辿った、日本列島からユーラシア大陸にかけての地図が印刷されていた。
著者は日本から朝鮮半島へと渡り、中国からシベリアまで。父が辿った航路を辿ることで、今もなお侵略された側に残る戦争の爪痕を知ることになる。そして戦後に父親が拘留されることになったシベリアへと近づいていくにつれて、父への思慕だけではなく、「だまされた」という言葉に込められた本当の意味に近づいていく。
多くの命を奪い、深い悲しみと半世紀以上経った今も禍根を残し続けている戦争は、どうして起こったのか。
さらには人間とは、どうして争いを繰り返し続けてしまう生き物なのであろうか。
この亡き父の遺したメッセージから始まった著者の旅路を、一人でも多くの日本人が読むことによって、戦争の本当の被害者について考えてもらいたい。それで戦争を知らない世代がほんの少しでも関心を抱いてくれたらならば、この本の価値は計り知れない。
物やお金に換えることのできない、かけがえのない私達の学びの財産を増やしていくためにも、自宅で過ごす時間を未来の自分への投資にできるように、本書で「なんのために学ぶのか」を学んでもらえたら嬉しい。
マルノウチリーディングスタイル・長江貴士さん
(「書店員レビュー」より転載させていただきます)
<いつだって、知ろうとするところから物事は始まるのだ>
読み始めてしばらくの間、僕はずっと本書を捉え間違えていた。
冒頭、著者の父親が亡くなった話から始まる。住む者のいなくなった家を解体することとなり、その整理に足を運んでいる時のこと。著者は、書棚に『シベリアの悪夢』という本を見つける。表紙をめくると、メモ用が貼り付けてあり、そこにこんな風に書かれていた。
【私の軍隊生活
昭和17年5月千葉津田沼鉄道第二聯隊入
昭和17年11月旧朝鮮経由、満州牡丹江入
20年8月、ソ連軍侵攻】
そして、紙の隅には、こう書かれていたという。
【だまされた】
生前著者は、父からシベリアに抑留されていたことは聞いていた。しかし、あまり詳しく聞いたことはない。何より、本人が話したがらなかった。しかし、このメモを先に見つけていれば、もう少し聞けたこともあったのではないか。著者はそんな風に考える。
【戦争に関わる取材は何度も経験してきた。
といっても、マスコミの多くがそうであるように、戦後50年、60年といった節目に過去を振り返るような企画物だ、沖縄戦、空襲、原爆…。その大半が被害者としての日本人の目線のものだった。不思議といえば不思議なのだが、日本が戦争へと突き進んだ道筋について深く考えたことはなかった。】
そのメモを目にし、そんなことを考え、父親のこともよく知らないままでいる自分に気づく著者。そして、そのメモを見つけてから5年という月日が経過したが、著者は父の足跡を辿る鉄道の旅へ向かうことになるのだ。
僕は本書を、ノンフィクション的なものだと勘違いしていた。著者はこれまでも骨太のノンフィクションを出してきた人だし、冒頭の「だまされた」というメモもある。このメモから、父親に関する何かを掘り起こしていくような、そういうノンフィクションなんだろう、と思っていた。
著者は、友人の小説家・青木俊と共に韓国入りし、シベリア鉄道に共に乗ることになる。僕はこの旅を、「どこか目的地へと向かうための移動手段」なのだとずっと思っていた。でも、読めども読めども、どこかにたどり着くような気配はない。本書を半分ぐらい読んだところで、なるほど、これはノンフィクションというよりは、エッセイに近いものなのか、と理解した。シベリア鉄道に乗ったのは、移動手段ではなく、旅の目的そのものだったのだ。
僕は、本書冒頭のこの部分を、どうも読み飛ばしていたようだ。
【朝鮮、満州、シベリア―。
西へ西へと鉄路をなぞっていく赤い導線。
父が遺したこの線を、私は辿ってみたくなった。
それが果たして「取材」なのか、なんなのか。それはわからない。
それでも私はその旅に出ようと思った。
鉄路の果てに、いったい何が待っているのか】
ここがちゃんと頭に入っていれば、そんな勘違いはしなかったと思うのだけど、どうも抜けてしまっていたようだ。
半分ぐらいまで、ノンフィクションだと思って読んでいたので、正直記述をあまり重視せずに読んでしまった。目的地にたどり着いてからが重要なのであって、今読んでいる部分は、そのメインの目的のための予備知識なのだろう、というぐらいの意識で読んでいた。そうではない、ということに気づいた時には、もう半分ぐらい読んでいた。そういう意味で、ちょっと読み方を失敗したな、と思う。
本書で著者がやろうとしていたことは、シベリア鉄道の旅を通じて、日清戦争ぐらいから終戦後までの、日本が辿ってきた道筋を、父親の足跡に重ねつつ書いていくことだ。つまり本書は、「シベリア鉄道」「日本」「父親」という三本のレールを折り重ねるようにして紡いでいく作品だ。
僕は歴史についての基本的な知識がないので、本書を読みながら「なるほど」と感じる描写は多かったけど、普通ぐらいに歴史の知識がある人が本書を読んでどう感じるのかはちょっと分からない。著者の目的が、先述した三本のレールの重ね合わせにあるので、戦争に関する新しい見方・知識が多数盛り込まれているような作品ではないのではないかと思う。
ただ、鉄道を軸に戦争を描くことで流れが見えやすくなっていると感じる部分もある。一番興味深かったのは、日清戦争から日露戦争に至る流れだ。これを著者は、「清国は何故、ロシアの鉄道を自国内に通すことを許容したのか」という疑問から解き明かす。
シベリア鉄道は、ロシアと中国の国境で2手に分かれる。中国国内に入る路線が東清鉄道と呼ばれるが、これもロシアが引いた鉄道だ。鉄道というのは、道路が整備されるまでは非常に重要な交通網で、「鉄道を警備する」という名目で他国に駐留することもある(ロシアも日本も、そういう名目で中国内に駐留した。その鉄道を警備する警備兵力が、後の「関東軍」となる)。鉄道というのは、国家にとって非常に重要なインフラなのだ。では何故清国は、自国内にロシアの鉄道が通ることを許可したのか?
そこには実は日本軍が関わっている。日清戦争に勝利した日本に対し、清国は多額の賠償金を支払わなければならなかった。「日清講和条約」により2億両の賠償金と決まり、他に、遼東半島などの土地を得ることになった。
さて、莫大な賠償金を支払わなければならないことになった清国に対し、ロシアとフランスが共同で借款供与を申し出たのだ。困ってるならお金を貸してあげよう、ということだ。でも…その代わりに、東清鉄道を清国の土地に通させてね、ということになったのだ。
さて一方、日本は「三国干渉」によって、手に入れたはずの遼東半島を手放さなければならなくなった。この「三国」というのは、ロシア、フランス、ドイツである。そんなロシアはなんと、清国にお金を貸す交換条件として、この遼東半島を租借することにしたのだ。日本に手放せよ、と勧告しておきながら、遼東半島を手に入れたのだ。これによって、以前からあった、ロシアが日本に攻めてくるかもしれないという脅威論にさらに拍車がかかることになる。その後、いくつかの出来事を経て、日露戦争に突入していくことになる。
こんな風に、鉄道や駅、沿線にあるものなどを軸にして戦争を描き出していく。
またその一方で、父と同じシベリア抑留を経験した人たちのことも重ね合わせていく。旅の道中の些細なが、当時同じシベリア鉄道で移動させられていた抑留者たちと重なる。カップラーメンにお湯を入れた直後に呼び出されたことや、食堂車へ向かうために車両と車両の間(つまり屋外)に僅かに出ざるを得ない瞬間など、彼らの当時の有り様に思いを馳せる。自分の父親はどうだっただろうか…。鉄道の旅は、父親が辿ったかもしれない道程でもあるのだ。
【我々はそうやって、誰かのお陰で生かされている。だからこそ歴史を知り、歴史のうえにしっかりとした根を張っていけばいい。
同じ過ちを繰り返さないために。
すべては、やはり「知る」ことから始まるのだと思う。
戦争は、なぜ始まるのか―。
知ろうとしないことは、罪なのだ。
必要であれば、私はいつでもその地へと出かけていくだろう。】
いつだって、知ろうとするところから物事は始まるのだ。

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