『本は3冊同時に読みなさい』(佐藤優)「はじめに」を公開します
12月3日発売『本は3冊同時に読みなさい』の「はじめに」を公開します。
「読書は言ってみれば自分の頭ではなく、他人の頭で考えることである。絶えず読書を続けて行けば、仮借することなく他人の思想が我々の頭脳に流れこんでくる」
これはショウペンハウエルの『読書について 他二篇』(岩波文庫)の中の一節です。この本は読書について書かれた本の中でも古典中の古典ですが、ショウペンハウエルは逆説的な言い方で、人生は有限であるからこそ、本を読むことを通じて人生が豊かになると説いているのです。
例えば浅田次郎さんは若い頃に『とられてたまるか!』(学研刊、その後『極道放浪記〈1〉 殺られてたまるか!』に改題して幻冬舎アウトロー文庫)という作品をお書きになっていますが、企業舎弟の世界を描いたこの本などはまさに、読むことで、アウトローの世界を代理 経験することができます。危険な世界に足を踏み入れないで、危険な世界について知ることができる。実際に経験していたら、人生がいくつあっても間に合いませんが、読書によって代理経験すれば、人生は2倍も3倍も豊かになります。
ではどうしたらたくさんの本を読めるか。多作な作家として知られる赤川次郎さんは同時にいくつもの連載をこなしています。私自身、締め切りをたくさん抱えるようになってよくわかるのは、多作な人はたくさんの仕事を並行して進めるにあたり、仕事ごとに頭を切り替えているという点です。
一つの仕事に疲れたら、別の仕事という具合に、複数を同時に進めれば、仕事の質と効率が上がるようになります。
読書も同様で、1冊ずつ読むより、並行して複数「読書中」の本を持っておく方が、読書の質とスピードが格段に上がります。1冊を読むのに疲れたら、別ジャンルの本を読むことで疲れをとる、そうするとまた1冊目の続きが読みたくなって集中して向かうことができるというわけです。
頭の使う場所を切り替えることによって、たくさん読めるようになります。逆に、1冊を読み終えるまで次の本に手を出さないというルールを課してしまうと、読める冊数が激減します。
常に3冊同時進行で読んでいる。そういう状態をつくるとよいでしょう。
私の場合、月平均300冊、多い時には500冊以上を読みます。献本はすべてに目を通しています。全ページめくるので、毎日最低でも1時間半くらいはかかります。しかし、それだけの時間をかける発見があります。
本を買う場合は、同じテーマで3冊5冊という単位で選びます。この習慣は同志社大学神学部と大学院時代からのものですが、のちに読書家である松岡正剛さんも同じことを おっしゃっているのを知り、我が意を得た思いがしました。
私が3冊5冊という奇数にこだわるのは、定説がないジャンルの場合、2冊の主張が相反するケースが出てくるからです。ディシプリンがしっかりしているジャンルであれば、3冊の説は満場一致になります。仮に3冊の説がバラバラに分かれた時には、そのジャンルにはまだ定説がないということがわかります。例えば地政学などはそうです。インテリジェンスの世界も然り、定説がないジャンルです。
同じテーマで集中的に3冊5冊を同時に読み進めるケースもあれば、ジャンルをまたいで小説、ビジネス書、新書というような組み合わせで読むのもいいでしょう。一冊が仕事に関係する本であるなら、全く無関係の本を組み合わせるのも重要です。料理本を入れてみるとか、キノコの本を入れてみるとか。あるいはコミックスなど。自分が普段興味を持たない分野の本を混ぜると、そこから知らない世界が広がることがあります。
また、ドラマで観た「僕だけがいない街」が面白かったので、原作の漫画を読んでみよ うというのも、いい動機です。最近ではネットフリックスやアマゾンプライムから数々の良質な作品が生まれています。映像作品を入り口に、読書の幅を広げていくのもいいでしょう。
社会現象になっている作品に目を通すことも重要です。今だったら『鬼滅の刃』はマストで読書リストに付け加えるべきです。そこから『約束のネバーランド』を読んでみる。
『約束のネバーランド』は『鬼滅』と同じジャンプ・コミックス。共通項は鬼です。さらに そこから馬場あき子さんの『鬼の研究』(ちくま文庫)に手を伸ばしてみましょう。目には見えないけれど、確実に害をもたらすもの、それに対する恐れについて、考えを深めることができます。人間関係における嫉妬にもつながっていきますので、山内昌之さんの『嫉妬の世界史』(新潮新書)、あるいは斎藤環さんの精神・心理学の本を探してみるといいでしょう。こうして関心の幅を広げて、自分の世界を広げていけるのが読書の醍醐味です。
何をどう読むかに関しては、黒田寛一という革マルの指導者が書いた『読書のしかた』 (こぶし書房)が隠れた名著です。獄中に入った革マル派メンバーに対して、過激派の指導者は具体的に、限られた環境下で何をどう読むべきかを示します。例えば本は汚く読めとか、自分の判断を書き込めとか、その際にはレーニンの『哲学ノート』を参考にせよというような、実にユニークな論です。横にねっ転びながら本に傍線を引っ張る場合、小指を支えにして親指と人差し指ですっと下に線を下ろしていけば、傍線がうまく引けるといったような記述まである。
同じ黒田寛一が1959年にこぶし書房より出した『何を、どう読むべきか? マルクス主義の主体的把握のために』という本は読書リストですが、外交官時代も、作家になってからも、私自身が何度も読み返している一冊です。命がけで殺し合いをしている人たちが、理論武装のために命がけで本を読んでいるわけです。その読書術には命がけの強さがあります。そこから学ぶことは多いのです。
先ほど触れたレーニンの『哲学ノート』ですが、革命家レーニンは地下活動を続け、いつも追われているため、蔵書を持つことができませんでした。自分が読んだ本の内容はノートに記し、そのノートだけを持ち歩く。ノートが記憶を呼び起こすインデックスの機能を果たしました。
革命家の読書術は、実は現代のビジネスマンに応用できます。限られた時間の中で、自分のビジネスに役立つ知識をインプットし、本から得た知見を即、自分の血肉とする。学者の本の読み方とは少し違う、ビジネスマンならではの本との付き合い方には、活動家の読書術と相通ずるものがあります。
電子書籍に関しては、私は電子は2冊目と決めています。まず紙の本で読み、いい本で携帯したいものを電子で買うようにしています。4000冊くらいあるでしょうか。すべてスマホで見られるようにしています。必要な時に、すぐその場で参照することができます。
なぜ電子だけにしないかといえば、私のように紙の本で育った人間は、紙で読む方が記憶への定着が圧倒的に強く、ずっとよく頭に入るからです。最初から電子書籍で本を読む習慣がついている世代でも、紙で読むのと電子で読むのとでは違いを感じているようです。 同志社大学神学部での教え子の一人は、その違いを、「紙の本の場合、記憶が三次元になる」と表現していました。この本のだいたいこの辺りに書いてあったなと、三次元で記憶を辿ることができる。付箋がなくても、体と視覚がそれを覚えている。電子書籍では経験できない紙の本ならではの良さです。
本書は私がこれまで書いてきた書評を中心にまとめました。1冊1冊をどんな風に読んだか、その読書の仕方をトレースできるような書評を選びました。1冊知ったら次に読む本が見つかるような構成にしています。また、読書の幅を広げていただくために、あえてジャンルを細かく設定しました。普段手にしないジャンルの本も1冊読んでみると、そこから広がりが生まれます。
同じ章の中で3冊読むのでもいいし、章をまたいで一つのテーマを掘り下げるのもいいでしょう。
一度きりの人生だからこそ、豊かな経験値を得られるよう読書を習慣づけていただければ、こんなに幸せなことはありません。
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