これからは「わけがわからない人間」が輝く――”世界が認めた天才”成田悠輔が「未来」を語る!
「ふらふらしている人」を目指す
私は最近はさまざまな活動をしていて、大学教員として講義や学生指導をやったり、研究成果を論文にまとめたり、ソフトウェアをつくったり、小さい会社をやって自治体や企業と仕事をしていたり、『日経テレ東大学』などのメディアでよくわからないことを書いたりしゃべったりしてます。
いろいろなことをつまみ食い的にやっている人間で、要はふらふらしている人という感じです。「ふらふらしている」というと、「いい歳して何をやっているんだ」と説教されたりしますが、私はとても大切なことだと思っています。
子どもの頃は、あまり「自分が何者なのか」「自分の肩書・職業は何なのか」を意識しません。
しかし、だんだん歳を取ってきて、おじさん・おばさんになっていくにつれて、自分のポートフォリオをつくり始めます。自分の経歴はどんななのかをさくっと説明できるようにして、雇ってもらったり、投資してもらったり、若者に説教するチャンスを窺ったりしているわけです。
できるだけそういうことをせず、小学生が帰り道に寄り道をしている感じの生き方をできたらいいなと思い、30歳を超えても、いまだにふらふらしている人間です。なので、仕事やキャリア的な成果はあまり出ていないです。
というのも、最近は「何をやっているのかよくわからない人」があまりにも周りに少なくなってきて、危機感を覚えているからです。
小学生のときなどは、クラスにも本当にわけがわからない同級生がいましたよね。授業中に突然奇声を上げてヒトラーのモノマネをする人もいましたし、突然ウンコを漏らす人もいました。
街中でもよくわからない人を見かけました。昼間に公園に行くと、働いているのかも不明なおじさんがいて、子どもたちが野球やサッカーをやっているところに混じってきたりしていた。
こういうおじさんは、私にとってまさに理想の姿です。
「エリート路線」から一線を画す
なぜ、そういう姿を目指すかというと、自分が育つプロセスで「よくわからない存在」に影響を受けてきたという強い印象があるからです。過去を振り返ったとき、そういう人のことばかりを覚えているのです。
ただ、ちょっと油断していたら、エリート街道の真っただ中みたいなところで生きることになりました。ひょんなことから、周りにいるのが東京大学を首席卒業した人ばかりみたいな環境になったのです。
今もそういう世界に半分体を漬からせています。その世界の人たちは、すごく優秀で頭もいい。ただ同時にすごく不自由そうだなと感じます。
彼らは、ちゃんと人から評価される生き方をしないといけない、競争に勝ち残れないと自分の存在価値はない、という信条を誰に頼まれたわけでもないのに持っているように見えます。
自分の人生をうまくプロデュースして、それを人にどう見せるかということに特化している人が多い印象を受けるのです。いったん競争社会に足を踏み入れてしまうとそういう生き方が必要な局面が多いのはわかります。ただ、そういう生き方は殺虫剤のようなもので、各方面に伸びた虫たちの足跡を消し去ってしまう。消えかかった足跡をどう取り戻すかを常に意識しています。
そのために一番手っ取り早いのが、自分自身がよくわからない環境に身を置くことなので、うまく人に説明できないような仕事や遊びにあえて首を突っ込むようにしているのです。
続きはぜひ本書で!