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稲垣えみ子がたどり着いたお金に頼らない生き方とは|『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』

まず断っておくが、私、家事は得意でもなんでもない。むしろ苦手である。というか、得意とかそうでないとかいう以前に「永遠の敵」と認定して生きてきた。それはきっと私だけではなかろう。この効率重視の世の中において、いくら頑張っても1円のお金も稼げず、世間に評価もされず、だがそうはいっても結局は誰かがやらなきゃならず、しかもやってもやっても終わりがないとなれば、これはもう何かの罰のよう。私が一体何をしたというのかと呪われた人生に抗議したくもなる。

というわけで、現代における家事をめぐる論争といえば、テーマは、もっぱら 「誰が家事をやるのか」。できることなら家事から逃れたいという点では皆一致して 同意見なのだ。分断と多様化が進む時代に、これほど国民こぞって意見が一致することも珍しい。家事ってそれほどの嫌われ者。つづめて言えば、「家事なんてこの 世からなくなればいい」と誰もが思っているわけです。

ところが。

私はとあるきっかけから、100%宗旨替えをすることとなった。国民的同意事項にきっぱりと反旗を翻したのである。

「家事なんてなくなればいい」なんて言っている場合じゃない。むしろ家事は我先にと「取り合う」べきものである。なぜかと言えば、老若男女問わず、何をおいても家事をする者、すなわち「自分の身の回りの世話は自分でやる者」こそが人生の真の勝者となるのだ。特にこの、疫病やら戦争やら災害やらが息つく間もなく襲ってくる、一寸先はどうなるか誰にもわからない、レールに乗っていればそこそこの幸せが手に入るなんていう牧歌的なことはもう誰にも望めない、自らの人生すら予測もコントロールもできない混迷の時代に、家事を誰かに押し付けてラッキーなんて言っていたら、いつの間にやら無間地獄へまっさかさまと覚悟しておくべきである。

私がそのことに気づいたのは、50歳で、これといった仕事の当てもないまま大企業を辞めた時だった。 自ら選んだこととはいえ、大口を開けて待っていたのはまさに「一寸先の闇」。いやね、そもそも背伸びして潜り込んだ会社だったから、競争と重圧に耐え続ける日々からエイと脱出を果たしたまではよかったのだ。だが物事とは良い面があれば必ず悪い面もついてくるもので、 30年ぶりの解放感と引き換えに「ある日突然給料が振り込まれなくなる」という非常事態がやってきた。

これはどう考えても大事である。だってお金さえあれば幸せが手に入るのが現代社会。逆に言えば、お金がなくなればたちまち不幸が待っているに違いないではないか。

さてどうするよ。苦しみから逃れたつもりが、実は新たな苦しみが始まるのか? 結局は「カネはあるけどヒマはない」暮らしから、「ヒマはあるけどカネはない」 暮らしへと移行しただけ? 私が求めていたのはもちろんそんなことじゃない。ラ クしてお金の心配もせず幸せに生きたいのである! ......いやまあ、考えたら誰だ ってそうですよね。そんな虫の良すぎることが叶うはずないからこそ皆日々苦労し ているのだ。そんな夢みたいなことが簡単にできるなら、この世のほとんどの不幸はたちまち消滅、というか、そもそも存在すらしていないだろう。

ところが。
恐る恐るフタを開けてみたら、そんな虫の良すぎることが、なんと案外ちゃっかりと叶ってしまったのである。
私を救ったのは「家事」だった。
家事など得意でもなんでもないが、それでも単身生活 年ともなれば最低限の炊事洗濯掃除くらいはできた。で、たったそれだけのことで、給料が振り込まれずとも、ふと気づけば日々それなりにうまいものを食べ、さっぱりとした服を着て、片付いた部屋で暮らすことができていたのだ。
いや......人生案外これで十分なんじゃないか? っていうか、よく考えたらこれ
を「豊かな暮らし」と言うんじゃ......?
ってことは、「幸せ」って実は自給できたのか?
そう家事さえできたなら。 ってことは、人生の必需品は、お金じゃなくて、まさかの家事だったってこと?
私はあまりのことに声も出なかった。

だって、私はずっと、お金を稼ぐためには人生の貴重な時間を歯を食いしばって耐え難きを耐えて過ごすのが当然で、それこそが大人というものであり、そのような苦難の果てにようやく幸せが手に入るのだと心から信じて生きてきたのだ。なのに、もしかするとそんな必要なんてなかったってことなのか......? だってお金など経由せずとも、家事さえできれば幸せはすでに「今ここ」にあったのだ。なんということだろう。お金を稼ぐには家事時間など無駄でしかないと思ってきたが、実は全くの逆だったのかもしれない。むしろ「家事さえできれば、お金を稼ぐ時間なんて無駄」だったんじゃないだろうか。何しろ家事さえできれば、何は無くとも自分の幸せは自分の手でちゃんと作り出すことができるのだ。となれば、あとはお金にとらわれることなく、自由に、好きなように、のびのびと生きれば良いのである。

いや......そうだよ。思い返せば私はこれまで一度とて、今のような「豊かな暮らし」をしたことがあっただろうか。

ずっと、お金を稼ぐことと、そのお金で素敵なものを買うことが忙しくて、家事はいつでも後回しだった。故に、いつも食べきれないもので冷蔵庫は溢れかえり、着きれない洋服でクロゼットはぱんぱんとなり、その他様々の溢れかえるモノたちが部屋に散乱し、それが邪魔をして掃除がどんどん億劫になり、つまりは365日24時間、ほぼ混乱した汚い部屋で生きてきた。だって何度も言うが、私は忙しかったのだ。稼ぐことと買うことで一杯一杯。それを整えるヒマなどなかったのである。

よく考えたら、私は必死になって豊かな暮らしをするべく頑張っていたのに、なぜか頑張るほどにその目標はどんどん遥か彼方に遠ざかっていく一方だった気もしてくる。

それが会社を辞めて、お金を稼ぐ時間も使う時間もグッと減ったとたん、忙しさもモノも減り、家事は急にとてつもなくラクになった。これまでの家事の労苦を100とするならば、1くらいの労力でこなせるようになったのだ。ってことで、毎日ちゃっちゃとその「ラクな家事」をして、毎日ちゃっちゃと「豊かな暮らし」を簡単に自給して生きている。こうなってくると、あんなに嫌いだった家事があろうことか楽しくなってきた。つまりは暮らしの中から耐え忍ぶ時間というものが消えた。生きている時間が全て楽しいのである。
あれ......楽しく生きるって、こんなに単純なことだったの?
その「あまりのこと」に気づいてからというもの、私の人生は180度変わってしまった。
何しろ、私はすでに幸せなのだ。となれば、何を置いてもこの幸せをキープすることが第一である。広すぎる家や多すぎるモノなどは、せっかく手に入れたラク家事を大変にしてしまう「不幸を呼ぶ原因物質」にしか見えなくなった。そう考えたら、家賃とわずかな食費を稼げれば十分なのである。そう見定めたら目の前がパッと明るくなった。ずっと絶対逃れることができないと思っていた、お金がいくらあっても足りないという不安も、あれも欲しいこれも欲しいという際限のない欲望も、他人を羨んで焦ったり落ち込んだりすることも、つまりは人生につきものとあきらめていた巨大なストレスが一切ない人生が転がり込んできたのである。
こうして私は以下のように確信したのだ。

この不確実で、成長も期待できず、なのに100年も生きなきゃならないおっそろしい世の中をなんとか生き抜くための最強アイテムとして、ほとんどの人が懸命にお金を貯めようとしている。でも、そもそもお金を稼ぐことも貯めることも難しくなったからこそこんな不安な時代になっているのであって、今や、お金にばかり頼って幸福な人生を全うするのは途方もないミッション・インポッシブルである。 我らに必要なのは、お金に取って代わる人生の必須アイテムではないだろうか。 「⃝⃝さえあれば人生何とかなる」の「⃝⃝」に入る「お金」以外の何かを発掘せねばならない。
そう、それが家事なのだ。

とはいえ、急にそんなこと言われても、とてもじゃないが信じられないという方も多数おられよう。

当然のことと思う。何しろ、人生における最大の相棒を、誰もが大好きな「お金」ではなく、誰もが大嫌いな「家事」に変えろというのである。ハイそうですか と簡単に納得するのは簡単ではないに違いない。

なので本書では、皆様と同様にお金を神と信じて生きてきた私が、一体どのようにしてこの過激な宗旨替えを果たしたのか。そしてその結果、今どのような暮らし をしているのか、すなわち、「家事をすることで最低限のお金でラクに豊かに暮らす」とは実際のところどんな感じなのかを、事実に基づいてできるだけ詳しく書いてみた。

また、このような「新しい暮らし」がもたらす具体的な効能、すなわちあらゆる災害にもインフレにも老後にも対応可能という万能性についても記述した。
中でも「老後」については特に力を入れた。現代は様々なリスクに満ち溢れているが、これからの時代、誰もが無縁ではいられない最大の不安はやはり、老後をどう生き抜くかであろう。だがこの国民的リスクについて具体的にどう備えたら良いかという肝心なことについては、結局のところ、金を貯めろ、健康でいろ、としか語られていないように思う。それが難しいからこそ皆悩んでいるのにね。でも心配にはおよばない。家事をすることこそが、このリスクに対処する最大の現実的な策である。何より、家事ならばその気になれば誰にだってできる。なのでここは是非とも読んでいただきたいところである。
もちろん、じゃあ自分もやってみてもいいかもと思うに至った方々のために、このような暮らしへ移行するための具体的なノウハウについても書かせていただいた。

最後に念のためお断りしておくと、私はこのような暮らしが「正しい」とか「誰もがこうすべき」などと言いたいわけではない。ただ、様々な偶然からこのような価値観を身につけるに至った者として、思いもよらず、ずっと解決不可能と思っていた様々な悩みから脱出することとなった実体験を、同じ悩みを抱えて生きている方々にぜひ知っていただきたいと思ったのだ。正しいかどうかは別として、このことが掛け値なく一人の人生を救ったことは間違いない。一人の人生を救ったなら、別の人の人生を救う可能性だってあるのではないだろうか。
そう思って書いた本である。



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