お守り札を持ち歩くように、「死」についての考えを頭の片隅に持ち歩く。
72歳の糸井重里さんが、400人以上を看取ってきた82歳にして現役の訪問診療医・小堀鷗一郎医師と、「死」を入り口に語り尽くす『いつか来る死』。11月12日いよいよ発売です。撮影は幡野広志さん(本の中にもお写真がふんだんに登場します!)、ブックデザインは名久井直子さん、構成は崎谷実穂さんが担当くださいました。
「先がないと思うとピリッとして、覚悟や勇気が出てきます」そう話す糸井さんと、「一人で死ぬのも、看取られて死ぬのも、人それぞれ。正解はない」と達観する小堀医師。
誰にとっても等しくやって来る死について、本書を手がかりに考えを巡らせてみませんか。
ほんの一部、内容を紹介します。
小堀 ちゃんと生きてない人は、ちゃんと死ねないんですよ。死ぬときになって急に自分が生きてきた軌跡を立派にはできないから。それはいいわるいの話でもありません。すべての人が立派な生涯をおくるわけじゃないので。
糸井 ぼくはどういう死に方をするんだろう。お通夜のにぎやかな人でありたい、とは前に思ったことがあります。みんなが楽しく、くだらない話でわいわい盛り上がるようなお通夜。それができたら、人生として最高だなと思うんです。
小堀 ぼくは自分のやっている仕事を、使命だとか、人のためにやるべきだとか、思ってないんですよ。今でも新しい発見があって、おもしろいからやってるんです。
糸井 64歳と65歳の境目は明確にある。65歳からは死ぬ旅をしているんだ、という自覚が芽生えます。きれいに言えば「諦観」ですね。山登りをしているのではなく、下っているのだとわかる。で、下っているなら、その途中のどこでいなくなっても同じだな、と思うんです。そうなると、やっぱり死がこわくなくなる。まったくこわくないわけではないけど、怯えるほどではないな、と。
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糸井重里(いとい・しげさと)
1948年群馬県生まれ。株式会社ほぼ日代表取締役社長。71年にコピーライターとしてデビュー。「不思議、大好き。」「おいしい生活。」などの広告で一躍有名に。また、作詞、文筆、ゲーム制作など幅広い分野で活躍。98年にウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」を立ち上げてからは、同サイトでの活動に全力を傾けている。近著に『かならず先に好きになるどうぶつ。』『みっつめのボールのようなことば。』『他人だったのに。』(ほぼ日)などがある。聞き手・川島蓉子さんによる『すいません、ほぼ日の経営。』(日経BP)では「ほぼ日」の経営について明かしている。
小堀鷗一郎(こぼり・おういちろう)
1938年東京生まれ。東京大学医学部医学科卒業。医学博士。東京大学医学部付属病院第一外科、国立国際医療センター(現国立国際医療研究センター)に外科医として勤務。定年退職後、埼玉県新座市の堀ノ内病院に赴任。訪問診療医として400人以上の看取りに関わる。著書に『死を生きた人びと 訪問診療医と355人の患者』(みすず書房)、『死を受け入れることーー生と死をめぐる対話』(養老孟司さんとの共著、祥伝社)がある。訪問診療の活動を追ったドキュメンタリー映画『人生をしまう時間(とき)』(2019年公開)も話題となる。母は小堀杏奴。祖父は森鷗外。