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本を書き終えた後に書きたくなった「本には無いまえがき」(清水潔)を公開

「今どうしてもこの本を出しておきたかった」そう話すジャーナリスト清水潔の最新刊『鉄路の果てに』は自分の父親や自身がジャーナリストを志した原点など、これまであまり書いてこなかった著者のパーソナルな側面にも話が及ぶ。文庫X『殺人犯はそこにいる』のような事件ノンフィクションとはまた異なる読みどころが特徴だ。家族の歴史を知ろうとする旅を通じて、著者が考えたこととは。
本書を多くの方に届けたいという思いから、本を書き終えた後に改めて書き下ろした「本には無いまえがき」をここに公開する。

・『鉄路の果てに』内容紹介についてはこちらの記事をお読みください。
・写真で巡る韓国・中国・ロシアの旅はこちらの記事をお読みください。
・冒頭8000字の試し読みはこちらでご覧ください。


それはずっと昔の良き時代の話。

東京駅で「パリ行き」の切符が買えたのだという。もちろん航空券の話ではない。鉄道と連絡船を乗り継ぎシベリア鉄道を経て14日間でパリへ向かうというものだ。政治家も、国賓も、芸術家や新聞記者もこの「欧亜の鉄路」を使って行き来をした。鉄道は夢への架け橋であり、各国は鉄路を延ばし続けていった。しかし時に、人間同士の戦いが鉄路を遮断することも起こる。兵や武器弾薬が輸送され、捕虜の輸送にも使われた……。

あなたは肉親の人生を詳しく知っているだろうか。

例えば両親の生まれた土地や、育ちは知っていたとして他はどうだろう。父母は若い頃どんな暮らしや経験をしていたのか。

私の父親は数年前に亡くなった。

しかし、私も彼の人生を断片的にしか知らなかった。今思えばだが、特段深く知ろうともしなかったのだ。ある日、父の遺品を整理していて一冊の本を見つけた。『シベリアの悪夢』というタイトルの本で、抑留された日本兵たちの記録を集めたものだ。父は陸軍の鉄道聯隊所属の兵隊として中国へと送られ、敗戦後に捕虜としてシベリアで抑留されたのだ。何げなくめくれば内側にはメモが貼り付けられている。そこに「だまされた」という父の直筆があった。そして東アジアの地図には戦争で父が移動を強いられた行程が赤いペンで描かれていた。

朝鮮、中国、ソビエト———。

父はいったい何に「だまされた」というのだろう。

日本が直接関わった戦争は75年前の夏に終わっているという。

戦後13年目に生まれた私にとって戦争は「という」「らしい」という表現にならざるを得ない。直接見聞きできない伝聞情報であり、もはや歴史の一部でしかない。

しかし両親の世代は違う。軍事教育を受け、召集や空襲、玉音放送や飢えといった実体験を伴っている。これが祖父母となれば戦争へと国が突き進んで行った時代の目撃者であり、勝ち戦に万歳をした世代であろう。そんな肉親たちから話を聞いていれば具体的な体験談を引き継げたかもしれなかった。思えば、血縁の戦争は近代史と自分の短絡線だったのだ。父の残したメモを手にした私は、今更に痛恨の思いを抱いた。今からでも何か知るべく道はないのか。

私は残された地図の赤い線を辿ることに決めた。

韓国、中国、ロシアへ。

国名は変われど、父は何を見て何を感じたのかその片鱗にでも触れたい。そう思い立って日本を出発したのは2019年の冬のことだった。

旅の連れは友人で小説家の青木俊という男だ。中国、ロシアに詳しいこのおっさんと、時に漫談のようなやりとりを交わしソウル、ハルビン、そしてシベリア鉄道へと続く長大な旅路を往く。ソウルでは38度線によって分断された鉄路を目にし、「欧亜の鉄路」の国際列車に思いを馳せた。ハルビンでは満州と呼ばれた広大な土地に立ち、悲劇の現場では頬を風に打たれた。いくつもの戦争の片鱗に触れ、戦争と鉄道の関わりを学び、知らなかった歴史を知識に加えた。

例えば、国内で語られ続けてきた満州の悲劇。

昭和20年夏、ソ連軍の戦車が突然に満ソ国境を超え、多くの日本人が悲惨な運命を迎える。本当にそのとおりだ。けれど、なぜ中国大陸だった満州に日本兵や日本人がいたのか。そこに至る流れをあなたは淀みなく説明できるだろうか。迫りくるソ連の戦車に対し、では中国人たちはどう反応したのだろうか。

シベリア鉄道で向かったのは凍える大地だった。

父のように、この地に長く抑留された日本兵は多い。極寒と栄養失調。全体の1割の兵隊は死亡し帰国も叶わなかった。そのためにソ連に対する怨み節は多い。父が残したあの本もそういう類のものだった。しかしだ、それよりもっと昔に、実は日本兵がシベリアの地に攻め込んで戦場にしたことは知っていた方がいい。それ以前の「日露戦争」では、満州の地にいたロシア軍に対して日本軍が攻め込んでいる。

かつて周辺諸国で日本軍が何をしたのか。

知らないことはやむえないとしても、知ろうとしないことは罪なのだ。

長駆のシベリア鉄道の旅はゆっくりと考える時間を与えられた。

同じ鉄路で連行された父の事、そして自身のことも振り返った。地平線の果てまで広がる原野がエンドレスで繰り返される車窓。事件取材のための移動でもなく、調査報道のための旅でもない。明確な目的無き移動。そういう意味で本書は少々異質な旅記録なのかもしれない。長考の延長線はやがて自分自身にも突き刺さってくる。

「なぜ記者という仕事を選んだのですか」

これまで、私のことを取材してくれた記者や学生に何度も問われたが、なかなかうまく答えられなかった。その説明には少々時間を要するからだ。若き頃の思い出話。冬の日本海への一人旅での経験が進路を大きく変えたからだ。そんなことも本書に初めて記してみた。シベリア鉄道の旅はそんなことを反芻する機会にもなった。

そして何より、父は誰に何を騙されたのか。

すでに世にいない人の思考の正解など永久にわからない。これまで関わってきた事件取材のように「犯人はあいつだ」とか、唯一の答えを導き出す数学の方程式のようなものではないのだから。けれど、旅を終えた今は自分の中でどこかに辿り着けた感はある。言い方を変えれば、周辺国を旅したことで、薄ぼんやりとかかっていた霧が晴れたような思いか。

自国を離れ、鳥瞰で全体を見つめることで初めて気づくことがある。ひとつは「国は過ちを繰り返す」ということだ。そしてそれをまた隠蔽する。ならば、同じ過ちを繰り返さぬためには、我々は自己努力でそれを知るべきだ。

赤い線を辿る旅は、その現実を痛烈に私に突きつけた。

本書について詳しい内容はこちらです



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